話を聞くことは必ずしもいいことではない!

心理のコツ

話を聴かれるのもつらいよ

 対人援助職を目指している方は、人の話を聴くということにどうしても重きを置くことになりがちです。対人援助職のアイデンティティにこだわるとそれが歪な形で出現してしまうことがあります。今回のテーマでは、話を聴く、聴かれるということの副作用を考えてみたいと思います。

一方的に話を聴くのは実は不自然

 友達同士での雑談など普通の会話であれば、どちらが話してどちらが聴くのかなどという役割は固定されずに、話し手と聴き手はどんどんと交代していきます。というよりそんな事を意識もしないと思います。

 しかし支援者の立場という役割を全面に出して話を始めると、「あなた話す人、私聴く人」という役割が固定されやすくなってしまいます。人が人の話を一方的に聞くという状態は実は、奇妙な状態であるとも考えられます。

話をすることはしんどい事もある

 改めて言うまでもなく、困りごとや悩み事の話を聴いてもらうことで、気持ちの整理がつくなどの効果があります。しかし話をすることはしんどい事でもあると意識するのは大切です。「話を聴く」ということがいつでも役に立つ事と思考停止してしまうと良いことはありません。たとえば不安や悩みを話すことはとてつもなく怖いことでありますし、一旦言葉にして話すと逆に気持ちの収まりがつかなくなり逆に体調を崩してしまうということはしばしば起こってしまうことです。そういった気持ちを話してもらうのであれば、それ相応の安全な空間をセッティングすることと、今その話に耐えうるかの見極めが大切になります。

集団の場での工夫

 個人セラピーでは、クラエイントが話をすることでしんどくなるリスクに備えるために、時間的にも空間的にも安心感を提供する仕組みを持たせていますが、こと集団精神療法や精神科デイケアなどの集団の場ではなかなか安心感の提供が難しい場面も出てきます。

 なぜなら精神科デイケアでは雑談場面も多分に存在するからです。精神科デイケアは時間にして6時間と長く設定されています。そのため時間中は何気ない会話で溢れています。もちろんスタッフとメンバーという関係性や立場の違いがあるのですが、普段の何気ない会話などをしている時はその役割が薄まることが良くあるのです(スタッフ側としては少なくともあります)。そうしてスタッフ役割とメンバー役割の意識が薄れている中で、突如として無意識のうちに対人援助職のモードで聞くモードに入ってしまうと、不意打ちをすることになってしまいますし、安心して話せる場をセッティング出来ていないことが往々にしてあります。

 支援者と利用者の超えられない壁

 自分自身の特性や立場に自覚的になることが重要です。意識するしないに関わらず、支援者でありスタッフという役割を脱ぎ捨てることは制度上不可能です。

 対等に話ができるように努力することはもちろん重要ですが、スタッフと利用者という差をゼロにすることはできないので、対等だと思い込むのはズレをより大きくすることにつながってしまいます。

まとめ

 対人援助職のスタッフという立場なだけであっても私は話を聴く人と言う役割をとりがちですし、対人援助職を目指そうと思った人は、人の話を聞くモードに入りやすい特性をもっているかもしれません。まずは自分の立場役割特性などについて自覚的になることが必要になってきます。話を聴かれるのもつらいのです。

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