精神科デイケアでのスタッフの権力的位置付け

心理のコツ

はじめに

 精神科デイケアなどの集団精神療法はグループという視点が重要とされます。そんな集団の中でのスタッフの位置付けについて考えたいと思います。特にスタッフがもつ権力性について考えたいと思います。

精神科デイケアを国家に見立てると?

 精神科デイケアのコミュニティではスタッフはグループの運営のさまざまな部分を行います。民主主義の三権分立でいうところでの、司法、立法、行政の全てを兼ねているようでもあります。三権のうちのどれかを外部機関に託しているところは少ないと思うのでスタッフが全部を兼ねている場合がほとんどだと思います。

 もちろんメンバーがそれぞれの三権について担うことはあるかもしれませんが、基本的には国民の位置付けになるかと思われます。ただ実際問題、選挙はないので国民のように選ぶことは難しいのでグループを抜け出すこと(デイケアをやめる、医療機関を替える)しかなすすべがないように思われます。

 そうなると民主主義的な国家であることは非常に難しいと考えられます。実態は貴族制の国家なのように見えます。民主主義的であろうとすることは大切ですが、実態は民主主義ではないことを自覚するのはとても大切なことです。

制度化された集団は民主的な集団にはなりにくい?

 しかしなぜスタッフはスタッフという立場に固定されてしまうのでしょうか。それは精神科デイケアなどのグループは、現行の医療保険制度や障害福祉サービスなどで成り立っている集団であるからです。そうなるとどうしても管理的なあり方を要請されます。補助金や保険点数で、グループ運営は資本経済的には助かるかもしれませんが、どうしても管理的な側面が増してしまいます。運営主体はスタッフ側であり、メンバーはやはり利用者であるということが確定してしまうのです。

 ピアサポーターという当事者が支援を行うということもありますが、これもやはり制度の枠内で行われていることです。制度が要請するのでピアサポーターになるのです。ただ制度化をしっかりすることで、貴族制のような状態を監視するブレーキが働くというメリットもあるかもしれません。

アジールとアサイラム

 精神科デイケアを取り上げている『居るのはつらいよ』という書籍では、アサイラムとアジールということが取り上げられています。もともとは避難所的な場所であるアジールという意味をもっていたが、いつのまにか収容所であるアサイラムに変化してしまうということが述べられていました。制度化され何かをすることが要請されたら、そこには管理体制がしかれてしまうのだろうと思うのです。

制度の中で制度から外れること

 要請される目的の中でいかに個々のメンバーにとって役立つものにしていけるのかということが大切になります。べてるの家から始まった当事者研究といった流れなどはまさに、制度の中で制度から外れることを体現した結果なのだろうと思います。

おわりに、終わりのない問題点

 しかしここで問題なのは、制度の中で制度から外れることが効果的だからと、さまざまなところに広げようとすると、それもまた制度化されてしまうということです。

 また一方で制度化されないままで行い続けると、いつ独裁へと移行していくのかという危険性もはらんでいるということです。

 絶妙なバランスの中でアジールを成り立たせ続けることが永遠の課題になると思われます。

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