当事者以外の専門職は”当事者研究”に手を出せるのか?

心理のコツ

はじめに

 当事者研究とは、北海道浦河にあるべてるの家という施設で始まったものです。精神疾患を抱えている方々が、自分自身でその症状などについて研究をしていくといったものです。今ではさまざまな領域に広がりを見せており、最初にべてるの家で用いられていたものとは言葉の定義は変わってきているようにも思われます。今回はその当事者研究の広まりについて専門職側として思うところを書いていきたいと思います。特にタイトルの通り当事者でない専門職が当事者研究に手を出せるのかを考えたいと思います。

当事者研究の意義

 私が思うところの当事者研究の最大の意義は、今まで他人の手に委ねられていた自分自身の病気のことや障害のことや困りごとなどを、専門家の意見を受け入れることではなく、自分たちの手に戻すことだと思われます。精神疾患や精神障害を抱えながら生きていくということは、ある意味で専門家集団に規定されていた部分が大半を占めていた中で、自分でコントロールできる体験や語りを取り戻すことであったと思います。

 当事者研究の本質は、一方的に与えられた既存の概念を乗り越えようとする、まさにその瞬間に最も輝くと思うので、そもそも”当事者研究”という名前が急速に広がっていくことは良い面だけではなく、当事者研究の良さが失われてしまう危険性も孕んでいると思われるのです。

当事者研究の広まりに対する疑問

 このところ専門職が当事者研究について論文を書いたり、専門職雑誌に特集がよく組まれていました。そんな事もあるので今回の流行のようなものを私自身も知るに至ったのです。当事者研究は精神疾患からの回復において重要な過程であると私自身も思います。一度自身の職場でも当事者研究ができないかと思い、プログラム化を目指しました。それほど流行していたのです。しかし大きな疑問が数点ありました。

  • 当事者研究なのに専門職側が主導してよいのかという問題。
  • それが当事者であっても結局主導した人の物語に回収されていく危険性。

当事者研究それ自体の問題

 当事者研究の広まりに対する疑問だけでなく、当事者研究のあり方それ自体にも問題が出てきました。当事者研究ということを用いて組織の中でのハラスメント行為が有耶無耶にされてしまったという問題が起こったのでした。部外者であり情報を全て終えていないのでそういう問題があったという表現に留めておきますが、見過ごせない出来事だと思いますので触れておきたいと思います。おそらくこれは当事者研究に潜む権威主義的なあり方が生んでしまった事だと思うのです。当事者研究ということのブランド価値が上がってしまったのでそこで活動している人に権威主義的なものが付加されてしまったと思うのです。そしてその権威主義的なもののコントロールをうまくできていなかったということだと想像されます。

 そして、当事者研究は現実的な問題についても自身の問題として矮小化して取り扱うことになる危険性があることがわかります。当事者研究を利用してしまうと、当事者研究の旨味が消えるどころか、凶器にもなってしまうのです。

再び”私”の物語が奪われないようにどうするのか?

 当事者研究を通してやっと”私”の物語となったのに、”当事者”と括られ主語が大きくなって広まっていってしまうと当事者研究の1番の効果が薄くなってしまうことを見ました。そしてその”当事者”の代表となってしまうようなものが、当事者であれ専門職であれ一部の権力ある人に集約されてしまうのは危険性が伴います。いかに主語を私に留め続けられるかが最大のポイントになると思われます。既存の姿形や言葉遣いを乗り越えようと”私”が生み出したものを、”当事者研究”がと一括りにされてしまうと”私”はいとも容易く去っていくと思うのです。

筆者のデイケアでの取り組みの例

 私の職場でも当事者研究を目指しましたが、プログラム名は「当事者研究(仮)」として始めました。プログラム立ち上げの話し合いのなかで、当事者研究をやりたかったのは私たちスタッフ側の意図が大きかったことに気付いたからでした。そして結局さまざまに話し合い、SAのような、困りごとを共有する会となりました。

そして困りごとを共有する会ではいくつかルールを決めることになりました。

  • 困りごとは病気のことに限らない
  • 困りごとをその場では解決しない
  • 発言した人を尊重する
  • スタッフも一生活者として参加する

以上のようなものでした。以上のルールは参加者に強制はしない場を作り、各参加者の独自の物語を守るということを意識して作ったものです。ただし、スタッフとメンバーの絶対的に消せない立場の差はあり、それはゼロにはできないということをスタッフで確認しました。

 また困りごとの共有以外で、ライフヒストリーをまとめる機会も同プログラムの中に設けることとなりました。”私”の物語を語る機会を設ける意図がありました。

 そして、プログラム名も参加者みんなで決めることとなりました。

 実際には上にあげた取り組みは”当事者研究”ではないと思いますが、上にあげた取り組みをしている中で、自分の病気について研究してみてもいいかもというメンバーさんが出てくればいいかなと思っているところです。専門職にできるのは当事者研究ができる環境や文化をつくることだけなのだろうと思います。

まとめ

 当事者研究自体は非常に役に立つとは思われますが、当事者研究かくあるべしといった態度で支援者側が導入するのは控えるべきだと思います。そしてそのように導入するならそれは、当事者研究という考え方を用いるのではなく、心理教育として行うべきだと思います。専門職側が安易に当事者を語るべきではないと思います。専門職側は”当事者研究”の環境や文化を作る努力しかできないと思うのです。

積み残した問題

  • 当事者と支援者と専門職の違いについての整理
  • 自己物語を紡ぐことについての、当事者研究の役割
  • 当事者研究にまつわる権力の問題

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