ただそこに居ること

心理のコツ

ただそこに居ることとは?

 精神科デイケアなどの集団精神療法の場やや、地域活動支援センターのようなサロンの中でただそこに居ることは単純そうに見えて、これがとてつもなく難しいことです。特にスタッフという立場でそこにただ居るということは難しいしです。他の業務などの制約が無くても難しい上に、実際は他の業務などがあるのでこれは神業的になります。仕事の仕方を整理することで幾分の余裕が出てきますが、整理したとしてもただそこに居ることは難しいことです。

ただそこに居るのが難しい理由

 もちろん、ある場所に居ることは可能だろうと思います。しかし、そうなってしまうと、そこに居るということが、目的を持って居るということになってしまいます。ただそこに居ること自体に治療効果があるとエビデンスが出ればいいのですが、おそらくエビデンスは出ないでしょう。仮にエビデンスが出たとしても、ここで言おうとしている効果はなくなりそうな気がします。ただそこに居るということに、何かをしてやろうという意図はないのです。ましてや何か違うことをしながら待っているというのともまた違ってくるように思います。
 またスタッフ側の問題として、何か仕事をしていないで居ることにも耐えないといけません。専門的な介入だけでなく、事務処理等を含めた仕事をやっていないと落ち着かなくなってきます。一方で何も考えずボーッとしているだけではそれはリハビリやケアとはなかなか認められません。
 ただ居ることを努力しようとすれば遠ざかっていくという何とも厄介なものなのです。仮にただ居ることが達成されてもそれは周りからみると何もしていないことに見えてしまうのです。

ただそこに居ることの効果

 では、ただそこに居ることの効果とは何なのでしょうか。それは、ただ居ることそのものが、何気ない、そして意外な一言を生み出す機会の余地をつくるということです。偶発性のようなものを呼び込む余地です。医学書院のケアをひらくというシリーズであった「やってくる」という書籍に著されていたようなことです。メンバーさん側もスタッフ側も意識していないような何かです。
 なので、待ってもいけないとも思います。待つということはこちら側が期待していることであるので、想定の範囲内のことになってしまいます。ただそこに居ることがやはり最も効果的に思えます。日向ぼっこするぐらいのことであったらいいと思います。本気で日向ぼっこをするかのようにです。逆説的ではありますけど、そこに目的が強くありすぎると話が生まれにくいような気がします。生まれてもこちら側が待っている話にしかなりませんし、偶発性が出てきません。何か第三のものに開かれている状況がそこに生まれると予感しています。

おわりに

 エビデンスも何もないことを書いてしまいました。しかし、今後ベテランになった時に、ただその場に居られる関わりができるようになれれば良いなと勝手に思っています。多分スタッフの役割をまとうと難しいしことなのだと思います。昔話になりますが、学生の頃ボランティアでお話を聞かせてもらっていたときは純粋にその場にいて話を聞かせてもらっていたなと思い出します。スタッフの身をまといながらそんな話の聞き方を目指したいと、どこか私は思っているようです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました